十日町Pの思ったことを根拠なしに言い放つブログtokamachiP’s blog

根拠がなくても自信たっぷりに言えば、説得力が増すというイリュージョンをお目にかけるブログ

英語やプログラミングの前にやる基礎教育を考える話

今週のお題は「おじいちゃん・おばあちゃん」だそうです。

 

少し前にランニングしていたら、近所の子供と近所のお年寄りがいて、子供のほうが勉強のことを話しているようでした。

 

Ω<「いやー、でもね、私らの頃とは内容が違っているから、おばあちゃん、きっと今の勉強、全然わからないよ・・・」

 

と話していたおばあちゃん。お元気ですか?

 

それは仕方のないことで、時代によって勉強内容は変わってくる。

でも、おばあちゃん、あなたはその時代の中で教えられたことを一生懸命頑張って勉強されたのでしょう?その頑張りをぼくは褒めますし尊敬します。

 

って、ごめん。

令和の脱線王、十日町Pです。

 

みんな、小学校から英語やプログラミングをやるようになるって知ってるかな?

 

本気か。

 

時代に即したものを教えるのは当然である。

今から竹やりの使い方を教えてもF-22を落とせまい。

 

むしろ、竹やりで落とせたとしたら、その方法を世界の共通学習方法に認定したい。

 

いえ、ぼくは非戦主義なのでうそです。

 

時代に即した勉強が英語やプログラミングなのだとしたら、一面を見すぎているといえる。

力を増してきた中国に対応するために中国語ではだめなのか?それとも特定言語に限定せずに選択式ではだめなのか?

まぁ、選択式だと教える先生がいないから難しい。

 

プログラムができることが有効活用できる職種がどれくらいあるのだろうか。

 

Ω<「プログラムを学ぶことが重要なんじゃなくて論理的な思考を鍛えるのが目的だから…」

 

じゃあ、プログラムじゃなくてもいいんじゃないの?

 

Ω<「プログラムを書けるような技術者が足りていないから…」

 

他の産業も人手不足のところはいっぱいありますが。

 

英語もプログラミングも、末端といいますか、特化した能力の一つ。

それができれば役に立つ場面もあるけれど、小学生くらいの小さい頃ならもっとその後の人生で幅広く役に立つことを教えてあげたい。

 

それは「興味を持つこと」です。

 

Ω<「は?なにそれ、何の役にも立たねーよ!」

 

はい。すぐには役に立ちません。

 

でも、その人を成長させる活力になります。

 

子供の頃はいろんなことに興味がありました。

「なんで空は青いの」

「どうして亀をいじめたらだめなの」

「なんで機織りをしている間に戸を開けたらだめなの」

「どうして戦隊もので戦っているシーンが遊園地の時に、アトラクションは激戦を横目にしながら稼働しているの」

 

知りたいという欲求を満足したいために多くのなぜを問いかけていたように思う。

 

でも、情報がたくさんあると、目の前に用意された情報で満足して、自らの「なぜ」という気持ちはだんだん薄れていったのではないか。

 

新聞を見れば、世間であったことを教えてくれるけど、情報を受け取っている状態で起きている事柄に「どうしてこうなったのか」という気持ちはあまりわかないだろう。

 

本屋に行っても雑誌などがあふれて、何の気なしに手に取れば、知りたくない情報でも入ってきてしまう。

 

求めなくても与えられ続けているという環境が、自分から探しに行くという意欲をなくしているのではないかと考えられるのである。

 

小学校の時の自由研究に頭を悩ませた小学生は多いと思う。

自由にする研究ということ自体に慣れていないので、フォーマットを作ってもらわないと何もできないのだ。

 

歳を取って、本当に何でもしていいんだな?という知識を蓄えて、あの頃に戻ったとしたら、手持ちのファミコンソフトのレビューを行ってみたい。

 

ジャンルごとに、プレイ方法、お買い得感などいろんな視点から書いたら超大作の自由研究ができそうである。

 

 

まぁ、ぼくの話は置いておいて。

 

興味を持たせるには、疑問を持った時に、その子自身が自分のやり方で解決を求め、成功を得る体験を積ませるとよい。

 

例えば、ホットケーキを焼きたいと思ったとしよう。

 

この時に、全てを用意するのではなくて、詰まった時には助け舟を出す。

そんなスタンスで、自力でやり遂げたと思わせながら成功へと導くのだ。

 

ホットケーキを作るときに焼いて見せるのではなく、粉までは用意して、水で溶いたりはやらせてみる。

 

生地を焼くのだってやらせてみる。

うまく焼けないようならおたまを動かさずに、フライパンの中央にだけ生地のもとを垂らすようにアドバイスする。

 

焼けてきたホットケーキはひっくり返すときにたたきつけないなど。

それでうまく焼けたと納得してくれたら素晴らしい成功体験を得たと思っていいだろう。

 

Ω<「人生はうまくいかないという教訓を積ませるほうが良いと前の記事で書いていませんでしたか?」

 

君は鬼か?

 

そんな年端もいかない子供にそんな真似はさせられませんよ。

 

 

時代は進んできていて、自分の頭が良くなくてもインターネットで調べればたいていのことはわかるようになっている。

 

だから、頭を鍛える勉強の仕方より、調べ方を学んでそれをどう活用していくかがこれからの時代に求められている能力だという人もいる。

 

でも、その前に、やはり興味を持つ力。関心を持つ力をぼくとしては推したい。

 

インターネットで調べるという行為も大本をたどれば、解決方法を知りたいという興味からである。

 

自分で解決するということを放棄して、誰かに答えを求め続ける対処法も時には間違いではない。

 

でも、自身で興味を持ったことに、納得のいく解決ができた時にうれしさと満足感を感じるとぼくは思う。

 

また、同時に人に頼らない自立心をはぐくむものだと思う。

 

 

実は少し前に「クニミツの政(まつり)」というマンガを読んでその中のエピソードで学級崩壊していた小学校の生徒を叩き直すために、メダカ捕りに行ったらそこからいろんなものに興味を持ち始め、クラスが良くなっていったというエピソードがあった。

 

大人になると初めては少なくなっていくが、子供は初めてにあふれている。

 

その初めてをどう扱うかによって、その後の姿勢が変わってくるように思うのだ。

 クニミツの政ではメダカを発端として、様々なことに生徒が興味を持ち始めていった。

先生はさらに興味を持ちそうなものを持ってきて、楽しませながら成長させる。

 

とてもいい関係だと思った。

 

子供だけではなく、大人もそうだ。

大人は逆にやるべきことがあってほかのことに注目していられないという状況がある。

今日締め切りの仕事があれば、他のことにかまっていられはしないだろう。

そんな生活が続けば、その人の見識は徐々に狭まっていく。

 

だからこそ、大人にとっても興味を持つことは重要なことである。

 

ただし、スカートの中身にばかり興味を持っているような大人は警察の厄介になる可能性がかなり高いので注意が必要だ。

そう、俺のようにな!(きらーん)

 

 

 

 

毎回書いてますが、このブログはさるのこしかけさくらももこなので、本ブログのほうも何卒よろしく申し上げたい。

 

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