三日坊主を悪とする風潮に喝を入れる話
亀の甲より年の功
今週のお題は「おじいちゃん・おばあちゃん」です。
おじいちゃんおばあちゃんは、お兄さんお姉さんであったり、お父さんお母さんであったり、色んな時代を経ておじいちゃんおばあちゃんになっている。
おじいちゃんおばあちゃんで生まれてくる人はいない。
そういったことが若い時はわからない。
自分が年を取り始めて初めて分かる感情であろう。
今回も関係ないことを語ってしまいました。
十日町Pです。
みんな、趣味は持ってるかな?
夜関係の変な趣味の事じゃないぞ☆
自分が興味を持ったことをにチャレンジしてみるというそんな感じの趣味だ。
ハードなモノからソフトなものまでいろいろあるだろう。
読書は簡単に始められる趣味であるな。
動画鑑賞・映画鑑賞も同じだ。
これらは「眺める」という行動を使った趣味なので、比較的楽だ。
じゃあ、料理はどうだろうか。
素材を包丁で切ったり、味付けをしたり、火を使って炒めたり煮たりと、結構アクティブな趣味である。
これは鍛錬が必要と言えば必要と言えるし、適当でいいならどこまでも適当でいいという、人によっては熟練度に幅のある趣味と言える。
ちょっと垣根をすっ飛ばして、楽器をやっている人はいるかな?
楽器はかなり大変なイメージである。
まずはなによりも楽器を手に入れないといけない。
つまり、ある程度まとまったお金が出ていくのである。
まとまったお金が出ていった後に、さらに過酷な練習を積み重ねてやっと人並みの腕前になれるということを、楽器をやろうと思った時には知らないはずである。
なので、普通に挫折があり得る。
ここで、目標を達成せずに辞めてしまうのは良くない、またはもったいないという人がいる。
確かに。少なくないお金を出し、多少は練習した時間が惜しいかもしれない。
一度志した事柄を投げ出してしまうのは、他の分野でも投げ出しがちの癖がついてしまうかもしれない。
そのため、三日坊主は良くないよ。という教えが割とまかり通っている気がする。
だけど、あるタイミングでは、継続する環境にないということもある。
例えばだけれど、好きな音楽に感化されて楽器をやろうと思って始めたけれど、うまくいかないからやめた。
これは、モチベーションがそんなに高くなかったのが原因である。
数年後、恋に夢中になる年頃になり、意中の女性が
Ω<「ギターできる人ってかっこいいよね」
っていったならば、死ぬ気で練習するであろう。
つまり、自分を突き動かす行動原理は、その時々によって異なる。
勉強や仕事をしていて、やる気がある日とやる気がない日があることを思い出してもらえれば、きっとわかると思う。
やる気が出ればノリノリになり、やる気が出なければ、目に見えるすべてが億劫である。
だから、やる気が出なくて続けられなかったのは、仕方がないともいえるので、そこにあまり目くじらを立ててはいけない。
本人が辛いと思っているものを周りが強要してしまうのもいかがなものか。
Ω<「でも、やることすべてが中途半端になったらその人の人生にとって良くないのではないでしょうか」
中途半端になるのは、その人の性格というよりも、その人にとって燃えるものを見つけられなかったという事の方が大きい。
初めて読んだマンガが面白くて、徹夜で全巻借りて読んだ、
とか、
斜面の緩いところが滑れるようになって、徐々に上級コースまで行って、スノーボードを滑り倒した
とか、
自分で作ったサバの味噌煮が缶詰より全然おいしくて笑えてきた
とか。
そういうものに出会えれば、周りが止めようとも自らが努力にいそしむ。
そんな物事にぜひ出逢ってもらいたい。
先に述べた三日坊主は良くないよという考えは合っているけど、間違ってもいる。
つまり、一度決めたことをやり通さないと人としてダメというような強いニュアンスで諭してしまうと、やり通すことに自信がない場合、やり通せることを選んで目的にしてしまうのである。
それはつまり、チャレンジが不足してしまうという事になる。
Ω<「登山とか興味あるけれど、山頂にたどり着けなかったら恥ずかしいしやめておこう・・・。」
Ω<「ヴァイオリン習ってみたいけど、そんなに投資できないし、うまくなる自信もないしやめておこうかな・・・」
しゃらくせーよ!
興味を持つということの感情の鮮度は実は短い。
お昼にニュースなどで見て興味を持っても、夜には忘れていることがほとんどである。
つまり、興味を持ったら実行するという事が大事
そして、興味を持ったことに挑戦していくと、割と高い確率で失敗することに出会う。
楽器の例なんかいい例で、楽器をやろうとして、本当にきちんと演奏できるようになる人はどれくらいいるだろうか。
5割もいないんじゃないだろうか。
でも、そのチャレンジして失敗するという経験が実は大事で、人生一筋縄ではいかないということが分かるようになる。
そして、失敗しても別に人生には大した影響はないことが分かる。
悲しいことに自殺してしまう人は年間にかなりいる。
仕事のし過ぎで追い詰められて、最後には…というケースもある。
この人たちはきっと失敗のない人生を歩いてきたように思う。
だから、自分ではどうしようもない状況になっても、
「ここで失敗したら私の人生は台無しになる…」
という思いが強くなって人生を台無しにするよりは死を選ぶという考えに至ってしまう。
エリートコースじゃなくてもいいし、別に貧乏になってもいいじゃないか。
でも、子供のころから三日坊主じゃなくて決めたことはやり遂げなさいという教育を受けていたとしたら、その場から逃げ出すことなんて考えられないだろう。
辛くて、まさにDEAD or ALIVEの状態になっても、
受け持った自分が仕事をこなせないのが駄目と、自分で責任を全て負ってしまうのだろう。
「自分には無理」とか、「今の自分ではできないけれど将来はきっと…」みたいな
判断が下せれば、その場から一度撤退するという考えも生まれるはずである。
三日坊主は別の見方をすれば、自分には合わないと思って見切りをつける判断力が優れているという見方もできる。
本当は飽きっぽいかもしれないけれど。
本来の目的を達成できなくても得られる経験は沢山ある。
例えば、ピアノをうまくなろうとして練習したけどうまくならなかった。
でも、譜面は読めるようになったし、オタマジャクシの意味も分かるようになった。
ピアノはうまくならなかったけど、ピアノを使ったジャズは好きになったなど。
これはピアノに挑戦しなかったらわからなかったことである。
だから、自分で思っている事が達成していなくても何かしらは感じている。
ピアノがうまくならなくて「ピアノつまんねー」と思ったとしても、そう思えたことがピアノをやった意味とも取れるのだ。
だから、三日坊主を恐れずに何でもやってみたらいい。
100のチャレンジのうちに1つでもワクワクすることを見つけることが出来たら、あなたの人生は豊かになっていくのだから。
初期投資がかかるものばかりやってすぐにやめちゃうと財布が破綻するのでそこだけは節度を持って対応してもらいたいZO☆
追記
早く投稿しようとして、書こうと思っていたことを忘れてしまった。
三日坊主にしていいのは個人の趣味・興味・勉強に関してだけです。
誰かとの約束を交えたときは、その時の気分でやめてはいかん。
Ω<「明日から一緒に朝走ろう」
「うん」>Ω
「うんとは要ったものの、走るの面倒くさいな…。三日坊主でもいいと十日町Pが言っていたし、やーめたっ」>Ω
↑こんなのはいけません。
人との約束が絡む場合は、あなたの信用問題になっています。
だから、もし約束としてなにかを始めたならば、やめるときにはきちんと理由を説明して相手に納得してもらうほうが良い。
そのあとで、その人と関係が悪くなってもいいなら勝手にやめるのも仕方ないが、人の評判はいろんなところを駆け巡ることになる。
人との関係をないがしろにする、約束を破る、裏切る。
こういった行為は、1回やるまでは実は慎重になりますが、1回破ってしまうと、「前もやったしいいか」という感情に簡単に傾きます。
三日坊主がかわいく思えてくるくらい、本当に簡単に約束を破る人になってしまうのです。
そのくらい、人との約束を破ることは危険な行為。
だから、あなたがもし約束を破ることを軽く見ているなら改めたほうがいいし、周りに約束を破る人がいたら叱ってあげないといけません。
と、こんなことを書いていますが、ぼくも他人の行為をそんなに怒れないです。
でも、もし身近な人、大事な人がそんな行為を働いたら、怒ります。
踏み越えてしまうと見方が変わってしまうものってたくさんあります。
だから、見方が変わる前に、「見方が変わる」ってことを知っている周囲の人がなんとかこちら側にとどまるようにしてあげないといけないのです。
腰かけブログなのでまとまりがなくなった。
ぼくの本ブログは以下のブログなので
ぜひよろしくしたい。
十日町PのDTだったら何が悪い!
https://around40-dt-tokamachip.info/