気持ちが疲れたら自然をぼんやりと眺めるといい話
悩み事、人間関係、仕事の将来…。
いろいろと思い悩むことってあるよね。
疲れちゃうっていうか。
なんだかよくわからないけれど追い込まれてしまう、みたいな、心臓をぎゅっとつかまれて息苦しいみたいな。
コロナ禍で将来に明るい展望を描けない、って人は多いと思う。
だからそんな時は自然を見つめるといいかもというお話です。
今回はポエム回です。
十日町市は四方を山に囲まれているからどこを向いても木が目に入る。
だから、地平線とか水平線を初めて見た時は結構感動したものです。
で、木の形は子供のころ見たものと、今現在でもあんまり変わってない。
数十年経っても昔と変わらずに生えている。
そういうのを見るとこれから何十年も何百年もきっと変わらずに生えているんだなと思っちゃう。
自分がつらい思いをしてもそんなことはお構いなしに、自然というのは生き続けていく。
それってつまり、自分が及ぼす影響って、全然大きくないんだなって気持ちになる。
その考えを広げていくと、影響力の低い自分が思い悩むことのあれこれなんて全然大したことじゃないんじゃないかって思えてくる。
かの石川啄木もこんな歌を歌っています。
不来方の
お城の草に
寝転びて
空に吸われし
十五の心
石川啄木が大人になってから、子供の頃のことを思い出して歌った歌です。
15の時に進路や将来のことで思い悩んでいた啄木は授業を抜け出して、不来方(こずかた)のお城(盛岡城跡)にやってきて草の上に寝ころびながら空を見ていると、大きな空の前に、自分の悩んだ重い心が吸われて晴れていくようだ。
といった意味合いの歌。
100年以上前の人も空を眺めることで気持ちの重さを解消していたんだよね。
そんな昔からある方法だから、現代の人も取り入れたらいい。
Ω<「都会生まれだから木とか森なんて身近にないよ!」
って人は、自然の中に身を置くだけでもいいと思う。
森林浴とかいいかもね。
上で爽やかな歌を歌っていた啄木はこんなことも書いています。
一度でも
我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
俺に頭を下げさせるような態度をとった奴はみんな死ね
っていう殺伐とした感じの歌なんだけど。
爽やかな歌ばかり書いてはいないってのが面白い。
人の気持ちは沈んだり浮かんだり一定じゃないから、自分なりの方法で解消方法を見つけたい。
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