十日町Pの思ったことを根拠なしに言い放つブログtokamachiP’s blog

根拠がなくても自信たっぷりに言えば、説得力が増すというイリュージョンをお目にかけるブログ

自分を貶める笑いは受け入れられる話

新作スイーツ続々あらわる

今週のお題は「好きなおやつ」だそうです。

 

ぼく世代だと、「パンの耳を揚げて砂糖をまぶしたやつ」というと共感する人が多いんじゃないかと思う。

 

現代風に言うとラスクである。

ほんとかな。

 

 

みんな、悪口は好きかな?

 

人の不幸は蜜の味というくらい、一般的には不幸な話は受け入れられやすいものであることが多い。

 

ただし、あまり生々しい話だと、拒絶反応が出てしまうので、そこまで不幸のどん底に落ちた話はでてこない。

 

本当にちょっとした悪口が面白かったりする。

 

結構いい給料をもらっている上司がケチだったり、

食べ歩きが好きで「いい店にいつも行っているんだ!」というような人がペットボトルの水と水道水の見分けが出来なかったり、

スタイル抜群の女性が、胸パットをしているなんて話があったりもする。

 

 

悪口はいつも見えているその人の人柄と合わないような顔を持っているということが実は面白い。

 

Ω<「じゃあ、悪いことじゃなくていいことでもいいんじゃないでしょうか」

 

そう。いいことをうわさしても同様の効果はある。

 

人付き合いの悪そうな人が、残業で遅くなりそうなときにこっそり手伝ってくれたり、酔いつぶれた時に遅くまで介抱してくれたり、知り合ってそんなに経ってないのに、困っているからと言ってお金を貸してくれたりする。

 

これもギャップがあっていいネタになるんだけれど、悪口ほどには続かない。

なぜか。

 

いいことをしている人の話をするというのは他人の優れているところを評価しているということになり、相対的に自分の評価が低く感じられてしまう。

 

自分が小さな人物に思えるような話はしたとしても一回きりで何回もするようなことではないので、それほど話したいという気持ちがわいてこないのだ。

 

ただし、芸能人スターなんかのいい話をするのは、また別で、話すたびにああ、やっぱり素敵という気持ちを再認識して気持ちを高めることができるので、ファンになると、その対象の人を誉めたくなる。

 

冬のソナタが流行っていたころはヨン様素敵という声がそこかしこで聞こえてきたものである。男のぼくから見てもかっこよかった。

高校生編を演じるのに、20歳を過ぎていたのに代役を立てずに学生服を着て演じていてもカッコよかった。

 

チェ・ジウさんはちょっと無理があったことも僭越ながら付け加えておきたい。

 

それはそれとして、ファンとその対象という関係は、もとから差がついているので、いくらほめても劣等感を感じることはない。

 

というような現象は、悪口にも言えることで、他人をけなして貶めることで、相対的に自分の評価が上がったように思えてしまうからだ。

 

まぁ、でも、そんなことをして自分の評価が上がった気になったとしても現実に気づいたときに愕然とするのは自分なので注意したい。

 

 

さて、悪口が面白いのは先ほどの理由を含めて3つほどある

1.相対的に自分を高める

2.悪口が正しい情報だった場合、共感を得られる

3.普段知られてない面を伝えるスクープの意味合いがある

 

1はすでに解説した通り。

 

2については、自分と同じ思いを持っていた人に肩入れしたり親しみがわいたりすることによる。

 

同じ趣味の人が、仲良くなりやすいように、同じ志向を持つ人は仲良くなりやすい。

今回は悪口というトリガーが、意識の共感を得て、話す人も聞いている人も仲良くなりやすくなる。

 

Twitterや、このはてなブログでさえも、「いいね!」とか「おきにいり」を頻繁にしてくれる人には親近感を持つと思う。

これと同じような作用がある。

自分から悪口のネタを提供し、受け入れてもらい、相手からの情報にも共感する。これはかなりの快感だろう。

 

3は、誰も知っていない情報をすっぱ抜くというブンヤのような理由であるが、それによって、注目を集めたり、称賛されたらうれしいという気持ちがある。

人のプライベートを暴露するなんてのはあまりいい趣味とは言えないが、テレビなどのマスコミでも行っていることなので、それほど抵抗感を持っている人は少ないのかもしれない。

 

 

以上の理由から、飲み会やあまり大っぴらではない場所で悪口が飛び交うことになるが、悪口を言いすぎると自分に対してヘイトが集まってしまう。

 

 

それはそうだろう。

腹を割って話したことを脚色してみんなに言いふらされたり、隠していたことをあけっぴろげにされてしまうような人とは中々オープンには付き合えない。

 

距離をとるか表面的には仲良くしている風を装うような関係になってしまう。

 

 

だから、そうならないためにも、悪口を言うときは自分に関係する事柄をしゃべると、面白くてしかも嫌みがない

 

 

特に見た目に関しては「これ触れてもいいのかな…?」と思えるような部分を持っている人がいる。

 

ぼくで例えると

・髪の毛が薄くなってきた

・小太り

・DT(何の略かは割愛)

・毛深い

 

などなど。

他にもたくさんあるのだけど、これくらいで勘弁してください。

 

Ω<「いやー最近髪が薄くなってきてねぇ、このままだと来年にはもうないかもしれないけれど、それなら散髪代いらなくなってお得かな?」

「HAHAHAHA」>Ω

 

みたいな感じで言えることができれば、誰かを傷つけることはないし、他の人にとってはあっ、これは話題にしてもいいネタなんだって思える。

それに自分のことをオープンにしている人なんだという信頼感も場合によっては得られる。

 

 

会話というのはコミュニケーションなので、コミュニケーションで誰かが不快になったりするようなことは、大人になったら避けるべきだと思う。

 

それは悪口だけじゃなくて、作法や振る舞いといったことも含まれる。

だから、ビジネスマナーやテーブルマナー、慶事・弔事のしきたりなどいろいろ発展してきた。

ただし、マナーなどは相手を思いやる気持ちがあれば、別にマナーから外れていてもいいと思う。

 

相手を思う気持ちがマナーになったのであって、マナーを重視するあまりに、マナーに固執するのはおかしい。

 

すんごいのどが渇いていて、水を飲みたいときに「飲むか?」なんてぶっきらぼうに水を差しだされてもうれしいし、

 

Ω<「ババアが辛そうに立ってるんだからどけよガキ!」

みたいな口調の人がいてもお婆さんを気遣っているから出る言葉なんだろうと思える。

 

ふむ。また話が脱線した。

 

 

というように自分に向けた悪口というか失敗談は割と受け入れられるし、人を傷つけないし、自分をオープンにできるしでおすすめである。

 

 

ただし、犯罪まがいだったり、人を傷つけたというような失敗談、重すぎる実体験は受け入れられない。

 

 

Ω<「いやー、子供のころ、近所の駄菓子屋で万引きをしまくってたんスよ。若かったっすね…(照)」

 

Ω<「大学時代に6マタしてたんだけどばれないもんっすね(照)」

 

Ω<「闇金で借金したら知らないうちに800万になっていて、今、毎月返済が30マンあるんスよ…どうしましょうかね(照)」

 

照じゃねーよ!

 

というような過去があったとしても心の中にしまっておくほうが良い。

見せないほうが良い現実も世の中にはたくさんある。

 

 

加えて、自分を貶めることで自分がつらくなるようなら無理にそういったことに話題を振らなくてもよい。

毎回「毛が無くて…」と言ったら卑屈に取られてしまうかもしれないし。

 

 

といったわけで、悪口風味の話をしたいときはまずは自分を対象にした悪口を話してみようというお話でした。

 

 

腰かけなのに3000文字を超えてしまった。

腰かけなので執筆時間は74分でした。

 

ぼくの本ブログはこちら

十日町PのDTだったら何が悪い!

 https://around40-dt-tokamachip.info/

 

 ↓本ブログのほうで似たテーマで書いた記事

自分を貶める笑いは受け入れられる~他人の失敗よりも自分の失敗を話す~

https://around40-dt-tokamachip.info/2018/10/18/mymistakes/