味覚を鍛えたい方におススメなのは豆腐とタコであるという話
今週のお題は「おいしくもりもり」だそうである。
と思っていたが、詳細欄を見てみると
今週のお題は「ごはんのお供」です。
と書いてあり、はてなブログの初心者を惑わす仕掛けとして機能していることが分かる。
これに引っかかる人は「少年の心を忘れない大人」ってやつになるのだろうか。
少年の心の解釈が「わがまま・無責任・努力の放棄・やりたいことだけ全力」だったとしたら魅力を感じる人はいるのだろうか。
Ω<「少年の心を忘れない大人の人って素敵☆」
みたいなことを宣う恋心100%女子は、「少年の心を忘れない大人」の別解釈もあることに気が付かないと変な男が寄ってくるぞ!そう、俺のようにな!(きらーん)
本筋からかなり外れてしまった。
そうそう、味覚の話であった。
料理を食べた時に「うまい」と感じる機会は多い。
それは素材がいいものであったり、「うまい」と感じる程度に味付けがされているからである。
特に今の季節は塩を振ったさんまだけで幸せになる。
食卓を豊かにしてくれる、食料生産者(素材の生産者も加工食品の加工者も該当します)に敬礼!である。
しかし、その一方で、味付けがされていない食材を食べた時に味がしない、と感じる人もいるだろう。
味がしないから、調味料をかける、ドレッシングをかける、醤油をかける、だしをふる。
対処方法は沢山ある。
でも、本当に味はしていないのであろうか。
普段の食事で味が濃いものを食べているから、相対的に味が薄い料理は味がしないと思い込み、果ては「まずい」と思ってしまう。
Ω<「料理は味云々じゃなくて食べられればそれでありがたいじゃないか」
もちろんそうである。
うまい、まずいで料理の優劣をつける気はない。
が、いろんな味を理解できた方が人生はより豊かになる、といいたいのである。
といっても、他人との位置比べで優位に立つためではない。
Ω<「これはね、『引き出し昆布』の技法が使われていて、昆布を湯にさっとくぐらせただけなんだけど、旨みがあるよね」
などのうんちくを聞かれもしないのに滔々と語りだすとしたら、知らずのうちに煙たがられてしまうだろう。。
そんなことではなく、季節が変わって、旬のものを食べて「ああ、うまい」といいながら、日々の生活をすることがどんなに幸せな事か。そんな豊かさを実感してもらいたいという事である。
いかんいかん、すぐに脱線してしまうのが私の悪いところ。
で、タイトルの話に戻そう。
豆腐とタコは、一般的にそんなに旨みの強い素材ではない。
旨みの強い素材は、ご飯のお供になったりするが、素の豆腐を、ご飯にかけて食べたりはしないし、生だこをご飯に乗っけて食べる人も稀だろう。
Ω<「生だこなら寿司があるじゃないか」
寿司もあるけれど、寿司の場合は飯が酢飯なので、別物としたい。
豆腐は、豆腐の周りが水になっているのではなく、豆乳になっているような豆腐をおススメする。
おぼろ豆腐なんかいいな。
豆乳は青臭いというイメージを持つ人もいるだろう。
確かに、パックの豆乳は独特の風味があり、好きな人と嫌いな人がはっきりしている。
パックの豆乳は健康のために飲む人はいても、好きすぎて飲むという人はあまりいない。
製造会社も素の豆乳だけでは愛飲者が限られてしまうという事をよくわかっているのか、素の豆乳だけではなく、様々なテイストをつけたパックの豆乳の製品を増やしている。
本来豆乳そのままの味はうまいので、新鮮な豆乳をパック詰め出来ればいいのだが、品質を保って販売するためには味が犠牲になるのは仕方ないのかもしれない。
また脱線してしまった。
豆乳に肩入れしている場合ではない。
おぼろ豆腐を浸している豆乳は、味わってみるとかすかに甘い。
そしてさらに豆乳の味がする。
この味を味わうためには、「豆腐にはとりあえず醤油をかける」というルーティーンを封印してもらいたい。
素のままの豆腐と豆乳を口に入れるのだ。
Ω<「豆腐なんて全然味がしないよ…」
そういった意見も実は正しい。
安く生産するために、味を犠牲にしている豆腐もあることはある。
ただ、その豆腐は「安い豆腐をご家庭にお届けする」という目的があるので悪い商品ではない。
味がしない食べ物は悪、ではなく、買う人のニーズに合わせていると思ってもらいたい。
そりゃあ、金が許せば、作る方だっておいしいものを食べてもらいたいに決まっている。
が、生産の時に条件が決まっていれば、条件に合わせるためには何かを捨てなければいけないのだ。
という訳で、すみません、ダメ出しをするわけではないのですが、1丁48円の豆腐ではなくて、160円くらいのおぼろ豆腐を買って食べてみて欲しい。
1丁48円の豆腐から、豆腐の旨みを感じるのは逆にかなりの上級者なので、初級者はおぼろ豆腐で。
おぼろ豆腐の豆乳を味わった後に、豆腐本体に箸を入れる。
柔らかいその柔肌を箸で扱い口にほおばるのだ。
慣れない人はスプーンでどうぞ。
豆腐にもほんのりとした甘みの他に大豆の味を感じることが出来るだろう。
Ω<「言われたとおりにやったけど、全然味が分からないよ…」
よし、それなら豆腐を変えてみよう。
別の豆腐を買ってくるのだ。
そして、買ってきた豆腐を食べてみる
Ω<「よくはわからないけど、何かが違う」
それでいいのだ。
何かが違う。
それは無意識に感じている豆腐の差である。
味が違うものを食べるという事で、味覚の広がりが増えていくのである。
このような食べ方を続けていくと「じゃあ何が違うのか」という疑問を持つことになる。
その時に初めて、素材の味だったり、製法を気にしてみるとよい。
もしかしたら製造日などによっても違いが出るかもしれない。
素朴な味わいとも言える豆腐にもやはり違いはあるのだ。
その違いが微妙であっても食べ続ければ、何かが違うという事はわかる。
何かが違うということが分かってから、醤油を垂らしてみる。
醤油の香ばしさによって、豆腐の味が変化するのがより分かるようになる。
ワクワクしない?
何となく食べていた豆腐の潜在能力を引き出せたみたいで嬉しくなる。
そして、豆腐の違いが少しでも分かれば、他の濃い味のものも違いが分かりやすくなるのである。
よし次だ。
タコである。
タコは少し古くなるとかみ切りづらくなり、生臭さも増すので、なるべく新鮮なものを買い求めたい。
タコを薄くそぎ切りにする。
タコは寿司ネタのように大きくなくてよい。
また、ごろっとした塊でなくてもよい。
薄くしたタコの刺身を作り、口に入れて、長めに咀嚼するのだ。
タコの身から、だし汁とはいかないまでも、旨みが出ているのが分かるだろうか。
嗅覚とも連動しているので、鼻通りをよくしてから食べてもらいたい。
鼻詰まりの時は、わかりづらい味である。
Ω<「タコはかみ切れなくて、なんだかゴムのようで好きではない」
そんな意見を言う人もいるだろう。
そんな時は、タコの身が肉厚すぎたのかもしれない。
薄切りにして、いつもより長めにもぐもぐしてほしい。
「無味ではない」
それが分かれば上出来である。
タコから何か旨みが出ているということが分かれば、タコの身に醤油をべったりとつけて食べることもなくなるだろう。
べったりつけて食べるのが悪いという訳ではない。
タコの味を味わいたいと思ったら、自然と醤油が控えめになるという話である。
醤油はうまくて、どんな食材にも合うことが多い。
だから、味が薄いときについつい手を伸ばしてしまう魅惑の調味料なのだ。
そのため、素材よりも醤油の味ばかりするような状態になりがちである。
そうすると、素材のほうは味がないと感じる人もでてくる。
食べ物を買ったときについてくるたれなどは、先に入れるのではなくて、何もかけずにそのまま食べて、ふたくち目からはたれをかけるようにしたりするといろんなバリエーションが楽しめるぞ。
なんだかうんちくめいたことを長々と書いてしまったが最終的にしてもらいたいことはこうである。
ひょいぱくっ。
「ウマイ!」
これであなたの人生はさらに豊かになるだろう。
うん、なんだって?
・・・長々書いて、豆腐とタコを食べるのを勧めているだけじゃないか?
そうだとも!豆腐もタコもうまいものだぞ!
十日町は別に豆腐もタコも名産品ではないけどな!
そして以下のブログが私のメインブログである。
長々書いてきて実は宣伝だったといういやらしさ。
はてなブログは腰掛である。
十日町PのDTだったら何が悪い!